ワーキングケアラー

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昨年、仙人様こと父を看取ってから今は母と二人暮らし。

母も老齢なのでだんだんと手がかかってきました。若い頃の三叉神経痛の手術の後遺症で目がますます悪くなり、耳も遠くなった。そのうえ片膝も悪くして杖に縋ってなんとか歩ける状態です。

母君の世話を焼く分にはいいのですが、言わなくてもいいことを言ったり、聞いてほしいことを頭から聞こうともしない節が悪目立ちしてきて怒鳴り声を上げることも正直しばしばです。

仙人さまは押し黙って体の不調や諸々の問題を押し隠してきて振り回してくれたけど、母君においてはどうでもいい事で相手を振り回す、そう思ってしまいます。

たまに自分の精神面の限界を試されてるのかと思いますが、こういう時ほどよその家の庭の芝は際立って緑に見えるもの。

正直、群青です。

その一方で自分の庭は冬備へもままならぬ荒涼とした荒地のように思えてきます。

「なんで自分だけが、、、」

なんて負の感情の隘路に押し込まれそうになることなんてザラです。

最近では私のように働きながら親の面倒を見る人をワーキングケアラーというそうですが、彼らもまたそんな思いを抱えているんじゃないでしょうか。ただワーキングケアラーという立場は存外ケアする側だけで成り立つものではないと感じてます。

色んな状況があると思いますが、ケアする側はなるべく無我の境地で万事にあたり、親のできることは全て『まだこんなこと頑張ってできてくれるんだ、ありがとう』と褒めれる気概でないと心が持ちません。最近それにようやく気づき始めました。

実際、褒めても伸び代はないのですが、そう感じれるようにならないと自分にのしかかる現実が相手のせいだと思ってしまうからです。

あと現実を辛い未来とセットにしてしまうと簡単に心がへし折れてしまいます。

なので未来とはなんぞや、今この瞬間がほぼ過去になるので、辛い未来はつらい現実に外ならず、辛い未来なんて存在しない!!!

というもはや訳の分からぬ屁理屈に真理を見出しはじめています。

悟れてないから苦しいのぢゃ!

そう。辛いことは「今」だけ。
そして辛い今は即座に過去に閉じ込められ、今この瞬間により良い未来に少しずつでも働きかけられる。。。。、はず!!!(※個人の所感です)

果てはどこかで聞いてきたかのような仏教の因果律の話にまでこじつけ楽観的にいられるようやりくりしています。

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