件(くだん)の謎

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くだん、牛頭女身の妖怪

「件(くだん)」という妖怪をご存じでしょうか。頭が牛で、長い女物の振袖を着た妖怪であり、地震や戦争といった大きな災厄の前後に目撃されたり、予言を残したりするとされ、凶事の前触れとして語られてきた存在です。そんな件を特集したコミックをAmazonで見つけ、読んでみました。

物語は、作者の小学生時代に友達が学校の先生から聞いたという話から始まります。その先生が兵庫県の甲山で植物採集に出かけた帰りに、件を目撃したという体験談が紹介され、それが筆者が件を知るきっかけとなります。

他にもいくつかの衝撃的な目撃談が収録されており、いずれも怪談として読み応えのある内容でした。なかでも、作者が件に強く惹かれるきっかけとなったのが、小松左京による作品『くだんのはは』です。

この作品では、甲山がある西宮市に隣接する芦屋市を舞台に、屋敷に匿われた件の様子が詳細に描写されており、作者はそのリアルな描写に強い現実味を感じ取ったと語っています。

私にとっても、母方の実家が六甲山の麓にあったため、作品に登場する地名には馴染みがあり、より一層興味をひかれました。そこで母に、「件の話を聞いたことがあるか」と尋ねてみたところ、意外にも「そんな話、あったわね」と少し驚いた様子で返してきたのです。

母が件の話を耳にしたのは、まさにコミックに紹介されている戦時中から戦後にかけての時期とほぼ重なります。ただし、母はコミックに出てくる目撃談のいずれも知らず、唯一『くだんのはは』に近い内容の話だけを記憶していたのです。

人払いの洋館

昔、母が子供だった頃、地元に「森本山」と呼ばれる小さな山があり、そこに洋館が建っていたそうです。場所は六甲教会の北側に位置し、地元では知られた存在でした。戦後は進駐軍の家族が住む居住区として「六甲ハイツ」と名を改め、やがて進駐軍の撤退に伴い公営団地となり、現在では六甲大学のキャンパスの一部になっていると思われます。

母が件の存在を初めて知ったのは、その洋館に関する話がきっかけでした。祖母から「牛のような顔をした化け物のような女性が住んでいる家がある」と言われたそうです。時は第二次世界大戦末期。母は、それが件と呼ばれる怪異であるとは知らなかったものの、「決してその家には近づいてはいけない」と強く言われたことが記憶に残っていると話していました。

『くだんのはは』をコミカライズした作品の描写と、祖母から母が聞いた話にはいくつかの共通点があり、非常に興味深く感じました。

『くだんのはは』では、誰も姿を見たことがない娘を匿う屋敷が登場します。戦時中、主人公はその屋敷に疎開先として身を寄せますが、早くから違和感を覚えます。屋敷では人払いがなされ、一部の人間しか世話にあたることを許されず、彼らでさえ襖越しに食事を運ぶだけで、(なぜか)洗面器いっぱいの血まみれの包帯を片づけることしかできないという異様な状況です。

母の話に出てくる「人払いの洋館」も、それに似た不気味な雰囲気を漂わせており、件にまつわる怪異が、実際にその地に存在していた可能性を感じさせるものでした。

母もまた、子供ながらに祖母から聞かされた話に不気味な現実味を感じ、洋館のある森本山に近づくことはなかったといいます。

その「件」とは一体何者だったのか。母がその正体を知るのは、戦後しばらく経ってからのことでした。

件の正体

件の洋館について再び話が出たのは、戦後も落ち着いた頃。母が大学進学を控え、ふと思い出して祖母に尋ねた時でした。

森本山の洋館周辺は、進駐軍の居住区域から公営団地へと移り変わり、風景が一変していくさまを目の当たりにしたことが、その記憶を呼び起こしたようです。

「幼い頃に聞いた“件”とは何だったのか? なぜ祖母はあんな話をしたのか?」――その答えは、意外なものでした。

当時、祖母には井戸端会議をするような近所の友人もおらず、情報源が限られていたはずです。母は「唯一、戦地から負傷して戻ってきた祖父が知っていたのではないか」と推測します。

祖父は壮年の頃から山野を散策するのが好きで、洋館の存在もよく知っていたようです。どうやら祖父が洋館の内情を何らかの形で知り、それを祖母に伝えて「子供たちを近づけるな」と言ったようでした。

そしてその理由こそ、「牛のような顔をした化け物のような女性」だったのです。

亡命貴族の末裔

六甲をはじめ兵庫県一帯は、戦前から外国人の出入りが多く、移住者も珍しくない地域でした。神戸市立外国人墓地には、モロゾフチョコレートの創業者モロゾフ氏や、ラムネソーダを広めたアレキサンダー氏など、異国から日本に根を下ろした人物が眠っています。

祖母が語った「件の正体」とは、ロシア革命で国を追われ、日本にやって来た亡命貴族の末裔だったというのです。

1917年に起きたロシア革命により帝政ロシアは崩壊。貴族たちは世界各地へ亡命し、神戸にも「白系ロシア人」と呼ばれる亡命者が流れ着きました。彼らは金銭を稼ぐ術が乏しく、日本語も話せず、やがて生活は困窮。持ち込んだ貴金属を切り売りしてしのいでいましたが、それも尽きれば二世代目以降の生活は困難を極めたといいます。

洋館に住んでいたとされる“件”の女性は、その貴族の子孫だったようです。

彼女は天然痘に罹り、重い後遺症で顔貌が変化し、また当時の日本人にとっては珍しい外国人の容貌も相まって、地元では“化け物”のように恐れられていたのでしょう。

そのため洋館には人払いがなされ、孤立した生活を強いられていたようです。

祖父は、屋敷の内情をどこからか耳にしていたようで、祖母にだけそのことを伝えたのかもしれません。ただ、その女性がどのような経緯で日本に来たのか、そしてその後どうなったのか、詳しいことは誰にも分からないままでした。

戦後、進駐軍の進出とともにその洋館は姿を消し、それ以来、その話を聞くこともなかったそうです。

果たしてこの話が、世に語られる「件」という怪異譚の元になったのか、それとも偶然重なっただけの地元限定の逸話だったのかは分かりません。

しかし、祖国を追われ、言葉も通じない異国の地で、重い病に苦しみながら、ひっそりと命を終えた女性がいたことは確かです。

まもなく終戦記念日を迎えます。 どうか、不遇な死を遂げた彼女のことも、心の片隅で静かに悼んでいただければ幸いです。

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